フランス モン・サン=ミシェル No1
4月1日 火曜日 成田出発 13:55 
 
全日空 NH205便
 

 
座席はとても狭いが、長旅には映画やビデオを視聴することが出来る。
 

 
機内食は、洋食と日本食があり、今回は日本食を食べた。
個人的な感想は、今回の旅行での食事で一番美味しかったのが機内食という感じであった。涙
 

 
19:25   パリ 4/1 シャルル・ド・ゴール空港着 
飛行時間 12時間30分

 

 
 
カンパニール パリ エスト ポルト ド バニョレ ホテル泊
 

 
このホテルに3泊することになるが、お世辞にも良いホテルだったとは言えない。
 
「※バスタブ無しのシャワーのみのお部屋となります。」と、旅物語のしおりには書いてあったが、部屋ごとに違うため、期待されないように、あらかじめバスタブ無しと書いておくそうである。
 
旅慣れた人たちのツアーのようであり、「旅物語」よりは「ルックJTB」のほうがランクは上だと言っていた。
 
と言うわけで、この後、年寄りには「終活」のような過酷な行軍が続くこととなる。
 
 
 
2日目の朝は、小雨模様であった。
女性陣に大人気の「モン・サン=ミシェル」観光である。
しかしながら、パリ市内からバスで359kmの移動である。
 
車窓からのパリ市内の道路状況である。
朝の通勤ラッシュ。
これから片道5時間ぐらいのバスの旅が始まった。
 

 
パリと言えば、セーヌ川が流れている。
3日目には、セーヌ川のクルーズが計画されている。
 
セーヌ川は、くねくねと曲がりながらゆったりとした流れである。
 

 
 
愛想の良いドライバーと記念の撮影だ。
旅行用の笑顔も身についてきた。
 
 

 
 
 
パリ市内を通過して高速道路に乗ると、このような風景が、延々と続くことになる。
見渡す限り、小麦畑かこのような菜の花畑である。
 
フランスは農業国であったのか、パリ近辺には山がないようだ。
 
 

 
昼頃に、ようやくモン・サン=ミシェルに到着した。
地平線の真ん中に見える三角の形のものがそれである。
海の中に浮かぶ小さな小さな島のお城である。
 

 
 
モンサンミッシェルへ行く道は、諸事情で乗り入れが出来ない。
シャトルバスに乗って島に上陸しなければならない。
そのため、バスが駐車できて、シャトルバスに便利なレストランでの昼食となった。
 
この地区には、名物の「プラールおばさんのオムレツ」がある。
 
「名物に上手いのも無し」という日本のことわざがあるが、ここの名物のオムレツは、ほとんど詐欺のような感じだった。
 
皿にのった薄卵焼きを、フォークでひっくり返したら、泡だけで、味もなく、単なる卵味だった。
 
 
 

 
 
 
 
さてメインディッシュは、シャケのムニエルとカッチカッチのパン一個。以上。
 

 

 
 
わざわざ、ここまで来て、牛の置物と記念撮影することはないと思うが。
撮りたいというのだから、なにか思いがあるのだろう。
 
 

 
さて、ようやく目的のお城をバックに記念撮影。
この道路のために、水流の流れが悪くなり、道路の回りにどんどん砂が堆積して、島ではなく半島のようになってしまったようで、道路を撤去する工事を始めたようである。
 
 
 

 
空から見た時に英仏海峡に浮かぶ要塞のような修道院の姿を取り戻す工事でもあるようだ。
 
 

モン・サン=ミシェル - Wikipedia
 
モン・サン=ミシェル(Mont Saint-Michel)は、フランス西海岸、サン・マロ湾上に浮かぶ小島であり、同名の修道院がある。モン・サン=ミシェルは「聖ミカエルの山」の意で、旧約聖書にその名が記される大天使・ミカエルのフランス語読みに由来する。行政上はル・モン=サン=ミシェルというコミューンを形成する。
カトリックの巡礼地のひとつであり「西洋の驚異」と称され、1979年「モン・サン=ミシェルとその湾」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、1994年10月にはラムサール条約登録地となった。」
 
 
モン・サン=ミシェルの位置
 

 
今回の添乗員さんは、総勢35名という人数を一人で面倒見ることになっている。年の頃は40代前半か、良く走り回ってサービスをしていた。
辛口の彼のユーモアが、和やかな雰囲気を常に作り出していた。
 
 

 
 

 
 
 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

  
頂上の広場で添乗員さんとフランス人のガイドさんの説明を聞く。

 

 
 
 
修道院下の狭い路地は店が立ち並び観光客で溢れている。
 

 
 
2時間の観光が終わり、
同じ道をパリ市内まで戻ってくる。
 
 
 
 
[2014/04/08 21:19]