(昭和五〇・一九七五年)
「私は多年、貴国訪問を念願にしておりましたが、もしそのことがかなえられた時には、次のことをぜひ貴国民にお伝えしたいと思っておりました。と申しますのは、私が深く悲しみとする、あの不幸な戦争の直後、貴国がわが国の再建のために、温かい好意と援助の手をさしのべられたことに対し、貴国民に直接感謝の言葉を申し述べることでありました。当時を知らない新しい世代が、今日、日米それぞれの社会において過半数を占めようとしております。しかし、たとえ今後、時代は移り変わろうとも、この貴国民の寛容と善意とは、日本国民の間に、永く語り継がれていくものと信じます」
証人喚問でよく使われる「記憶にございません」という言葉を連発した元祖が、小佐野賢治氏だ。
国際興業の社長で、1976年に表面化したロッキード事件で証人喚問された。
事実と異なることを言えば、あるいは記憶とは異なることを言えば、罪に問われる。一方で「記憶にない」と言えば、証人が主観的に覚えているかどうかを第三者が証明できない。そこで編み出された戦術だ。
この時に連発された「記憶にない」は流行語となり、その後の証人喚問で使われる「基本戦術」ともなった。』
『およげ!たいやきくん』は自由を求めたたいやきくんが遭遇する現実と自己再認識の過程をドラマチックに描いた歌曲作品である。毎日鉄板の上で焼かれるたいやきくんはおじさんと衝突して海に逃げ込み、自由とリスクにほだされる。そして、空腹に負けて釣り針に飛びつき最後には釣り人に食べられてしまうというシナリオである。一見するとなんでもないが、その背景に存在する意味深長なメッセージとストーリーが浮かび上がる。「文引用」⇒続きを読む。
このころから、サラリーマンは朝から晩までがむしゃらに働くようになっていた。
子供が起きる前に家を出て会社に出勤し、子供が寝てから帰宅するというような会社人間がたくさんいた。
青酸コーラ事件 毒入りチョコ事件
人間は、物質欲に支配され大事なことをおざなりにすると、やがてしっぺ返しが来るようだ。
愛情ではなく、親の見栄や押し付けによる子供の教育は、やがて親に牙をむけることとなるものだ。校内暴力の次は家庭内暴力となって悲惨な結末を迎えることとなる。
学級担任になって、がむしゃらに朝から晩まで学校にいた。土日も無く、毎日平均して13時間の時間を学校で過ごした。
いやではなかった。学校にいることが楽しかった。
ピンクレディー大旋風
江川卓がドラフト「空白の一日」で巨人へ
NO.7に続く