本日は、大学時代の共通の友達と『房総のむら』に遊びに行った。毎年1回集まって、のんびりとおしゃべりをしながら一日を費やす同窓会である。もちろん私は運転手でそれぞれの個性のお相手をすることになる。
9時30分の少し過ぎた頃、友達が我が家の近くの空き地に到着した。
出発して3、40分して房総のむらに到着した。
満65歳以上は無料である。前回の下見で確かめてあった。
商家の町並みである。
ボランティアの男性が無料で案内してくれることになった。
全部説明すると1時間以上になるというので、30分ぐらいで軽く説明してほしいとお願いした。
人の説明を聞くよりも、人に説明するのが好きな人達ばかりである。1時間はとてもとても耐えられないと考えたのだろう。
ここでは、様々な商家の建物の中で、体験学習ができる。物を作る場合には別に料金を払う。前もって予約してからでないと出来ない体験学習もある。
画像は、ろうそく作りであった。外国人観光客が体験学習をしていた。
和紙作りの体験学習のできる建物で、ふと目に止まったものがあった。それは「とろろあおい」である。夏に作って花を楽しんだ花オクラである。花オクラは属名で正式名称はとろろあおいである。その根っこを使って和紙を作れることは初めて知った。コウゾやミツマタはよく知っていたが。
和紙に刷った浮世絵の説明を聞いた。
昔、外国に調度品を輸出した時に、浮世絵の刷られた和紙を丸めてクッション代わりにした。その和紙を外国人は、たいそう喜んでコレクションしていたという話を聞いた。また有名なゴッホの作品にも和紙が貼られたものがあったと説明を受けた。
『タンギー爺さん』を描いた画家のゴッホは、親日家であったことでも有名です。日本の浮世絵に魅了されたゴッホは版画を買い集め、模写を繰り返していたそうです。
実際に『タンギー爺さん』の背景には6枚の浮世絵が描かれていることからも、ゴッホが親日家であり、浮世絵に魅了されていたのだということが伝わってきます。』
ボランティアの男性は、地元の佐倉市出身の方であった。とても熱心に説明をしてくれていたが、彼の知らないことを突っ込んで聞く友人が一人いた。とても細かいことに気になる性格のようで、なんども「それななぜかはわかりませんので、今度調べておきます。」と答えていた。
友人は、全体を捉えるのは少し苦手なところがあるが、色んなことで、だれも知らないような細かいことをよく知っているところがあった。
時々、ボランティアの男性が説明したいところと、違う所に行きたがる友人たちのわがままさが見え隠れした。3人とも別々の場所に興味を示した証拠写真である。
約束の30分が過ぎたので、ボランティアの真面目な男性とお別れした。
そして、カミサンの一番行きたかった古墳広場に向かった。
そして着いた時に大きな失望感に浸された。
なんと古墳群が草の中に埋もれていた。
この様な古墳を期待していた。
旧学習院初等科正堂(国重要文化財)
旧学習院初等科正堂(国重要文化財) 内部
岩屋古墳
岩屋古墳は、墳丘の一辺約80m、高さ13mの全国一の規模をもつ方墳。普段は、古墳は自由には登れないが、特別に登っても良いことになっていた。ラッキーな日であった。
頂上には、ボランティアの方がいて岩屋古墳について詳しく説明していただいた。
頂上から下を見ると「方墳」であることが、直角になっていることで確認できた。
岩屋古墳とは?
『岩屋古墳は、墳丘の一辺約80m、高さ13mの全国一の規模をもつ方墳です。
3段に盛られた墳丘は、まるで階段ピラミッドのようです。周囲には2重の堀がめぐり、その範囲は東西108m・南北96mに及びます。
南側の墳丘の裾に2基の横穴式石室が並んでいます。貝化石を多く含む軟質の砂岩を切り出して積み上げた特異な石室で、天井が極端に狭くなる構造です。
墳丘と石室の構築には、高度な土木技術が必要だったことが良くわかります。江戸時代から入り口が開いていたため、副葬品が全く遺っていないのが残念です。』
石室の中を撮影した。
『緑に囲まれた農家レストランゆめテラス』で食事をとった。
夢テラスをあとに、一路もう一つの場所に向かった。
そこは、カミサンの絵手紙が展示されている『花季』であった。
そして、友人を巧みに奥の方に誘い込んだ。
そこにはもう一つの仕掛けがあった。
妻の藍染の作品の展示即売コーナーである。
お買い上げありがとうございました。
その御礼に、コーヒー代はカミサンが出したようだった。